資材調達と恋愛について(坂口孝則)
ある朝、元アメリカ大統領のカルビン・クーリッジと夫人がケンタッキーの養鶏場を見学しました。すると夫人は「なぜこれほど多くの卵が産まれるのか」と訊きました。すると農夫は「うちの雄鶏は毎日、何十回も『働く』のです」といいました。夫人は「まあ、その話を夫にしてやってください」と返しました。
すると、そのあと、夫人がトイレに行っているとき、夫はおなじく農夫に訊きました。「なぜこれほど多くの卵が産まれるのか」。すると、農夫は「うちの雄鶏は毎日、何十回も『働く』のです」といいました。夫は「なるほど、ということは雄鶏は、同じ相手に毎日、何十回も『働く』のか」と再質問しました。農夫は「とんでもありません! もちろん毎回、違う雌鶏が相手です」と答えました。夫はゆっくりとうなずき、「その話を妻にしてやってください」といいました。
恋は「あなたのことをもっと知りたい」ではじまり、「あなたがどういうひとだか、もうわかっちゃった」で終わります。という意味では、相互理解すればするほど、終焉に近づくとは皮肉でもあります。いつかしら、お互いをわかりすぎて、夫婦は疎遠になります。そして皮肉をいいあうようになるのです。
ここからあえて話を離します。では、どうやって、飽きないのか。きっとそれは、自ら対象に「未知の箇所」を探し続けるほかないでしょう。相手の、まだわかっていないところはどこか。まだ知らない魅力は何か。きっと、それは仕事も同じなのでしょう。すぐに「この仕事はわかった」「この仕事はつまらない」と思うのではなく、まだまだ「わからない」と思うこと。仕事の深さを理解すること。恋と仕事が同じとすれば、楽しく仕事をする、とは「この仕事がどういうものだか、もうわかっちゃった」といわないこと。
一人前のバイヤーになるとは、一人で仕事をこなせるようになるのではなく、悔しくて眠れない夜を明かす、ということです。
一人で仕事をこなすのであれば、これまでと同じやり方をやればセンスの良い人なら誰だってできます。批判するだけでそれなりの成果を上げることができるでしょう。しかし、それと自ら仕事を創り出すこととは全く異なるのです。自分で問題意識を持ち仕事にあたれば、新たなやり方を提案したくなります。提案し、各部門を動かし、次のステージに組織を引き上げたい気持ちになるはずです。
しかし、そうしているうちに、これまで調達・購買部門の誰も経験したことのないような壁にぶちあたります。そして、調達・購買部門の誰も経験したことが無いゆえに、打開策を自分で考えることになるでしょう。そして、自分の考えた仮説を試そうとして、失敗するでしょう。誰にも打ち明けることのできない葛藤の中でもがき苦しみ、悔しくて、悔しくて眠れない夜を過ごすことになるはずです。これを一人前になった、と私は呼びたい。
私がイメージするこれまでのバイヤー像とは、商談室の隣のタバコ部屋で赤ペンを手に、サプライヤーの見積りを査定し、偉そうにしている人です。「これは違う。ここも高い」。そう言ってはサプライヤーに脅しの交渉を繰り返す人。そういうバイヤーを見るたび私は心の中で「それは気をつけなければいけないね」と自分につぶやきます。
サプライヤーの見積りを責めるのは分かった。他人の仕事を批判するのも分かった。では、あなたの前に白紙の紙を差し出そう。他人の書類の上ではなく、白紙の上にあなたは一体何が書けるのか。赤鉛筆ではなく黒鉛筆で、どんなことを書けるのか。他人を鼓舞し、会社と自分自身に新たな価値をもたらす「何か」を書けるのか。
バイヤーを単なる受身の業務としてではなく、携わる人たち全てに一言一会をもたらす存在として定義しなおしたとき、全ての業務が変わらざるを得ません。それは他者の仕事ばかりを批判する今のありようを変えるということです。赤鉛筆を捨てるということです。自ら機会と仕事と心に刺さる言葉を創り出し、能動的な部門へと変換を遂げるということに他なりません。
それが可能になったとき。バイヤーの右手に握られているのは、赤鉛筆ではないでしょう。太く深い、黒鉛筆のはずです。
「赤鉛筆バイヤーから黒鉛筆バイヤーへ」。
これは単なる言葉遊びではなく、調達・購買部門の目指すべき一つの象徴なのです。