AI時代の日本人的・調達・購買システムの優越性
現在、私は調達・購買業務をAIでアップデートできないか試みを続けている。たとえば、手始めにAIを使った価格査定業務について無料レポートを公開している(http://www.future-procurement.com/booklet/aiprocurement/)。
おおむね、AIの仕組みを解説すると、こうだ。たとえば、あなたが金属加工品の調達担当者だったとしよう。
●調達履歴80円→こういう仕様だった
●調達履歴90円→こういう仕様だった
●調達履歴50円→こういう仕様だった
●調達履歴100円→こういう仕様だった
このような事例をたくさん、AIに学習させてあげる。そうすると、次に、仕様を教えてあげる。
●こういう仕様ならば、いくら→??
この??を埋めてくれるのがAIだ。詳しくは、前述のレポートに譲る。多くの場合、人間のプロ調達担当者よりも正しい価格を計算してくれる。
しかし、これは非常に面白い問題を含んでいる。このAIを使用した価格査定(調達・購買業務全般)のアプローチの本質は、00年代以降に重要視された、仕様の具体的な意味には触れていない点だ。私がそうであったように、そして、先人たちの調達・購買コンサルタントがそうだったように、製品知識の習得と仕様の徹底理解が必要とされた。しかし、AIは仕様を単なる数字として扱い、その意味には立ち入らない。
あくまでもデータを価格と相関させ、その形而下における解決を図ろうとする。意味を排除し、その直感的・神経系のアプローチは、どこか、以前の東洋的問題解決法と親和的ですらある。
情報処理やデータ処理において、その意味を把握することなく、近似的に価格を査定することは、もはやかつてのベテラン調達マンが「これはいくらだろう」と経験則的洞察によって価格をすみやかに決定してしまう”早業”と相似している。
AIは、近代的な調達・購買分析主義よりも、むしろ、人為に介在させる身体的・経験的な行為に近い。この意味で、00年代の調達・購買業務を近代化しようとした試み、そしてそれに気づいていない伝道師たちは、まもなく敗北を迎えるに違いない。
これまで、調達・購買業務は、すべて、状況を意味化し、それに解釈を加えることで近代化されようとしてきた(もちろん、その戦犯の一人は私だ)。しかし。これからは、大量のデータをもとに、AIと身体的直感性をもって判断する時代になるだろう。つまり「データを解釈し、それをもとに意味づけを行う」VS「データをもとにAIで答えを出し、身体的・経験的に正しいかを検証する(ある意味、旧時代的にも思える態度)」の対立となるだろう。
そのとき、調達・購買業務は、一周して、ふたたび原点回帰するに違いない。それは、データ処理をAIにまかせたあとに、余剰時間を現場にまわす、すなわち「現場・現物・現実」主義への回帰である。きっと、この重大な変化を理解するひとは、おそらく少ない。
ただ、東洋と西洋のパラダイムの逆転がふたたび起きようとしている。しかも、それは、AIという西洋のテクノロジーをもって。